2009年3月25日水曜日

山村からのメッセージ


入間地区の中心に、入間天満宮があります。

明治の昔から、地区の移り変わりを見守り続けていた社です。
閉校になった入間小学校の校歌にも、菅公を称える地区民の思いが込められていました。

典型的な中山間地域の入間は、今、少子高齢化社会の最前線に立っています。
慣れ親しんだ故郷に住み続けたい思いの地区の人たちにとっては、合併によって,市役所から遠くなった為に行政過疎地域になるのではないかとの不安があります。

周辺地域が行政過疎にならないためのしくみ作りが求められるところですが、・・・・・・・・
求められる地区像を目指して 「入間」 からの情報を発信していきます。

菅原道真公の見守る下で 「入間はええよ!!」 と素直なメッセージを発信します。
ブログ開設以来、入間地区の姿をまずお知らせすることを主題としましたが、
4月からは、新しい執筆陣での発信になります。

これからも入間コミュニティーブログにお立ちよりください。

2009年3月22日日曜日

思わず声の出る、八塩滝と八汐滝


八重滝最後の主役は、7番目8番目と2段になった二つの大滝です。


最後の滝2段の滝ににたどりついたとき、初めての人は思わず一様に「おーー」と声を上げられます。

それだけ迫力があります。

上段の滝が、八塩滝、下段の滝を八汐滝と言っていますが、声に出すと同じです。

大方は、一つの滝として接して来ていたのでしょうが・・・  それでは八重滝になりません。


同じ発声で二つの名前を付けたのでしょう?


一つ目の滝から次々と六つの滝をたどってきて、否が応でも期待が高まりますが・・・

八塩滝、八汐滝は裏切りません、


「おーー」と感嘆の声を、あなたも八重滝の山に響かせてみませんか?

2009年3月21日土曜日

黒髪の美しい 姫滝/八重滝


八重滝6番目の滝は 姫滝です。


うっそうとした木立の下の滑を走る水の流れが、お姫様の黒髪の様に柔らかなカーブを描いてくねっている様が姫滝と呼ばれる所以でしょうか?


滝と呼ぶにはあまりにもやさしく清らかな流れです。

つい先に待ち構えている、八汐滝と八塩滝、二つの大滝はさしずめ美しいお姫様をうかがう、源氏物語のなかの薫君と匂君かもしれません。

木立の簾の中であやしく横たわる姫滝を。あなたもうかがってみてはいかがでしょう。

2009年3月19日木曜日

慎重に、姥滝/八重滝


5個目の滝は 姥滝です。

岸壁に囲まれた岩だらけの川床を音を立てて流れ落ちる滝は、荒々しく近寄りがたいものがあります。

昔は、滝口の滑らは人の歩く道になっていたようですが、 ある時、一人の姥が足を滑らせて落ちたことから姥滝・・と言われるようになったようです。


姥滝のかなしい物語は、今でも滝の姿をあなたの目から隠し通しています。

滝の全容は、向かいの山からでも無ければ見ることができません。


今は滝口にかかっている渡り橋を通りますが、 ごうごうと鳴り響く滝の音が足もとから湧きあがります。


姥の悲鳴と思ってはいけません、 何事においても慎重であることを教えています。


風格の滝 河鹿滝/八重滝


8つの滝の4番目は河鹿滝です。

小さな滝ですが、大滝の風格があります。

滝の周辺には巨岩に根を纏わらせた大木が覆いかぶさり、滝壺は静かで穏やかな雰囲気があります。

夏のころなら、耳を澄ませると河鹿の鳴き声がどこからか聞こえてきそうです。


墨絵の世界から抜け出したような穏やかな滝の風情はミニ名瀑とでもいえるでしょう。

歩き疲れたあなたをきっと癒してくれる、癒しの滝?を是非ご覧ください。

2009年3月18日水曜日

紅葉滝/八重滝


八重滝3番目の紅葉滝を紹介します。

2番目の滝尻滝から巨岩の重なりを通り抜けて数十メートル上ると、休憩所があります。


滝尻滝から上下二つの遊歩道に分かれますが、それが再び一本の遊歩道となるところに休憩所がありそこからまっすぐ目の前に現れるのが紅葉滝です。

大きな滝ではありませんが、渓谷の美しさを最も見せてくれます。


昔は、吉田町民谷地区からの道路がこの紅葉滝の脇まで、山の上から降りてきていました。

旅人は紅葉滝を見ながら、歩き疲れた足を清流に浸してひと時の休憩を取っていたことでしょう?


紅葉時期には、周囲のハゼやもみじが一層滝を美しく見せてくれます。

どこかで一度見たような思いを抱く渓谷の美を、紅葉滝でお楽しみください。


2009年3月2日月曜日

滝尻滝/八重滝


春が来た!と喜んでいたら、今朝の入間の里はまたまた白くなり、モノクロの世界でした。

年度内に、入間の地域の紹介を済ませようと・・・
白くなった八重滝の遊歩道を2番目の滝を目指して歩きましたが、 今年の大雪で倒木の為にところどころ歩けなくなっていました。

春の行楽時期までには、片付けられると聞いています。新緑の渓谷美がお楽しみいただけるでしょう?

今日は駐車場から遊歩道を上って最初に現れる「滝尻滝」の紹介をします。
滝尻滝は名前からして、大方は最奥部の八汐滝から下ってきての滝尻に当たるからでしょう。

八重滝群8つの滝の中では、小さいながらも一番幽谷の趣のある滝だと言えます。
狭い巨岩の間から、ちらちらと姿を見せる恥ずかしがりの滝ですが、滝の音は結構存在を誇示しています。 
遊歩道が滝口の横の巨岩の下を潜るように通っていますので、滝の上からも見ることができます。

ここまでの上ったら、最後の八汐滝の雄姿を期待しておのずと足が速まります。
みぞれの中での写真ですが、本当はもっときれいな滝です、
天気の良い時にあなたの目でお確かめください。






2009年2月20日金曜日

猿飛び滝/八重滝


雪解け水が岩走る、八重滝は、
国道54号線脇の十数ーメートルのところから第一の滝が始まります。

それぞれ違った趣の八つの滝は、およそ800メートルの間の渓谷に次々と姿を現わします、

さほど深山でもないのに幽谷の姿を見せる八重滝渓谷は、お勧めしたい散策スポットです。


まず、最初の滝、「猿飛び滝」を紹介します。
猿が滝の上の岩礁を飛びながら渡ったのを見た人がいたからでしょうか?

用水の取水堰にも利用されていますので、趣に少し欠けるところがあるかもしれませんが、滑らの美しい猿飛び滝は、 八重滝の玄関で皆様をお迎えします。


2009年2月16日月曜日

珍しい狛犬


珍しい狛犬を紹介します。


八重山神社の随神門の両側でにらみを効かす狛犬は、

ながい前脚とスマートな体躯に加え、肩を怒らせて首を下げるポーズが独特の狛犬です。

狛犬といえば普通は獅子の形をしていますが、八重山神社の狛犬は、一見豹の様にも見えます。


出雲地方にみられる、出雲型狛犬とは全く違う風情の狛犬は、どこから来たのでしょう?

福光石(太田市温泉津町産の石)で作られているところからみると、石見銀山の歴史となんらかの関わりがあるかもしれません?


松平藩「一社一例国主守護の社」八重山神社には、隠された秘密がいっぱいあります。


豹の様な狛犬を皆様の目でお確かめください。

2009年2月14日土曜日

七冠馬への道、八重山神社。

八重山神社は入間の八重滝集落にあります。

出雲郷から安芸、周防への街道筋にある八重山神社は、昔から牛馬の神様として、近郷在からたくさんのお参りがありました。
遠くは石見地方から、今でも4月と9月の例祭の日には欠かさずお参りに来られる信者さんもおいでです。

7冠馬として名高い、シンボリルドルフの馬主さんも、八重山神社の信者の一人だったそうです。
7冠の偉業は、八重山神社のおかげとも言えます。

岩窟の中に建つ八重山神社への長い石段は、さながら幽玄の世界への門坂の様な錯覚を覚えます。  雲南市の隠れた名所、八重山神社へ是非お参りください。

2009年2月13日金曜日

宇野千代の小説「八重山の雪」


入間地区の八重滝集落を舞台にした宇野千代の小説「八重山の雪」の話です。


終戦後、松江の六十三連隊跡に駐屯していた英国兵と逃亡し、入間の八重山に隠れ住んだはる子を主人公にした「八重山の雪」は、宇野千代が実話をもとに書き下ろした小説です。

作者は取材の為に幾度かこの掛合町八重滝集落に訪れました。
それだけに宇野千代は「私の好きな作品の一つ」と言っています。

逃亡兵のジョージを気遣うはる子の父の世話で、二人は遠縁の居る八重山集落の家に身を寄せ、ジョージはその家の炭焼きの仕事を手伝います、

「 最初の仕事場は、あの、牛の神様と言うて諸国のお人に知られています、八重山神社の裏手を廻った奥山でございました」

小説の中で主人公はる子は、八重山神社をしっかりと宣伝しています。
現代から見たら純情でありすぎる二人の愛の物語は、綿々嫋嫋として強烈な印象を与える素晴らしい作品です。

その続編とも言える宇野千代の、「チェリーが死んだ」 もあわせお読みいただきたい小説です。

2009年2月12日木曜日

思いも一入


平成20年4月に閉校となった、旧入間小学校の校舎は、
今、地域活性化センターとして、地元に管理が委ねられています。

その活性化センターをどのように利用したら良いか? 地元では専門委員会を立ち上げました。
地区民へのアンケート調査を終えて、一昨夜(2月10日)数回目かの会合を持ちました。
利用方法に関して偏った考え方に陥らないようにと、中山間地域研究センターにも参加していただいています。

昭和25年に焼失の為に再建された入間小学校は、当時の村有林の材を使い、住民の労力奉仕によって建てられました、
地区民の思いにも一入のものがあります。
跡地もまた、地域の中心となる場所にあり、利用方法については、アンケートからいろいろなアイデアをいただきましたが・・・・
人口減少化社会を迎えた日本では、廃校が全国的に広がっている中で、跡利用の成功事例は少ないようです。

入間小学校跡地の利用の方向性としては、まず寄り処として整備をし、発展的に研修、展示、宿泊に繋がる利用を考えて行こうということになりました。


木造外壁の古びた校舎ですが、・・・・地区民には愛着があります。 


 

2009年2月11日水曜日

お宝の里


入間地区で最後に紹介するのは、八重滝自治会です。
近世まで製鉄場のあった八重滝は、峨峨とした山々に囲まれた谷間にあります。

限界集落と言う言葉が当てはまるのなら、八重滝自治会は、典型的な山村の限界集落と言えるでしょう?
集落戸数5戸、老人化率95%、独居高齢者家庭3戸、

だが、 雲南市のお宝を捜すのなら、八重滝集落にはたくさんのお宝があります。
入間コミュニティー協議会ブログの冒頭を飾る写真の大滝は、八重滝集落にあります。

国道54号線からほんの10数メートル入ったところから始まる八つの大滝群はその渓谷美と相まって、沢山のフアンが居ます。
集落奥の八重山神社は、牛馬の神様として遠くは石見地方からも信者のお参りがある、由緒ある神社です。

作家、宇野千代がこの八重滝を舞台にして書き下ろした「八重山の雪」は宇野千代自身も好きな作品の一つ、と言っていた素晴らしい小説です。
そのお宝は、後日に順次紹介いたします。


道路の草刈り、水路の整備などなど、いまだ限界の文字を感じさせないで5戸の集落は朝日に輝いていました。

2009年2月10日火曜日

竹の尾村


出來山から国道54号線をさらに広島方面に向うと、

竹の尾集落があります。
戸数10軒の自治会です。

昔はもう少し戸数も多かったでしょうが・・・小さいながらも村として存在していた集落です。
郷土史には、穴見村、入間村、と並んで竹の尾村が記載されています。
郷土史を見ると、 竹の尾村の村高わずか56石、とあります。
人口の少なかった当時でも小さい村落だったことが伺えます。
それでも村を維持出来ていた事は、村民の志が高かったからでしょう。
集落の広島側の境には、川を改修して耕地を広げる大規模な土木工事を図った跡があります。
当時の村民の息吹を感じます。
藤原姓が多いのは、小さな村だった事と何か関係があるのでしょうか? 







2009年2月9日月曜日

歴史の流れの中で、


54号線を広島方面へ向って走ると、入間地区に入って最初の家並が見えます、
出來山集落です。

その昔、銅山があり、戸数数百軒を数えたと言い伝えがありますが、定かではありません。
それでも、数軒の農家の裏山には坑道の跡らしき10数個の間歩が見られます。
間歩の中に入ってみると、黄金色状の筋になった鉱脈と思えるものが見受けられます。

集落内の西蔵寺跡とされている平場は、飯南町の西蔵寺が移築されるまで建っていた所と聞いています。  集落の各所には、確かに鉱山の痕跡は残っています。

今は12戸になりましたが、数百軒の賑わいの空気がどこかに感じられる集落です。

歴史の流れの中で、集落の家々は静かな佇まいを見せています。

2009年2月8日日曜日

矜持を持って


入間の中心地から寺谷集落を経由して、さらに西へ向うと穴見集落に出ます
入間コミュニティ-協議会の中でも一番大きな自治会です。

盆地の中に、出雲風土記にも記載のある穴見神社を中心として、比較的大きな耕地が広がっています。
 花卉園芸農家として県下でも有数の「別木農園」はこの集落です。

新年の大雪では倒木による停電が2~3日続き、孤島化した事がありました。
まだ、携帯電話不感地域は解消されていません、防災上からも早急に解消される事を待ち望んでいます。

集落のまとまりは良く、雲南市の中でも先駆けて集落営農の立ち上げ、運営がなされています。

昔から、郵便番号はこの集落だけの単独の番号です。(〒690-2704)
何故でしょう?   それだけ集落の皆さんのプライドも高いものがあります。




2009年2月7日土曜日

住み続けたいふるさと!


今日は、本谷集落の山側地区に登ってみます。
登る、と言う言葉がぴったり来る程の市道を国道から入ると、
点在して5戸の家が見えます。

急傾斜の山肌に田圃が点々と見られますが、地形上どうしても耕作するのに不利な所があります。
若者は、新しい生活を求めて山を下りていくでしょう。

今、日本の国の山間地では、何処でも同じ悩みを抱えている事でしょうが・・・・
住み慣れた土地から離れがたい思いのお年寄りを、地域のコミュニティーはどうしたら、お助けできるのでしょうか?

課題には大きなものがあります。

個々のお庭から目にするやまなみは雲海のなかに浮かんで、墨絵の世界に分け入ったような感覚を覚えます。
美しい、住み続けたいふるさとです

2009年2月6日金曜日

名工 清水 巌


入間の中心地から、西に向って県道を走ると寺谷集落に入ります。

集落の名の由来でもありましょう、 入口に長栄寺が見えます。

江戸時代に石見の甚五郎と称された、清水 巌が小僧として勤めた、古刹です。
本堂には、清水巌の作による龍の欄間が掛かっています。

清水巌は、和尚に才を見出されて江戸にのぼり、後に猪の牙などを材料にした、石見根付けの元祖として名をなしました。

作品は海外に流れて、ほとんど見られませんが長栄寺には、小僧時代の作品が数点残っています。

住職に御願いすれば見せてもらえます。

2009年2月5日木曜日

こんにちは!ようこそ入間へ



今日からブログを開設しました。

春まだき、と言った感のする雪の残る入間です。
だが・・・川岸の猫柳にはちっちゃなねずみ色の芽が覗いています。

入間は今!春を迎える為に大急ぎで起き上がろうとしています。

雲南市の、南の玄関口にあたる入間地区を、これから少しずつ皆様にご紹介していきます。
そこで生きて、笑って、働いて・・・山国の幸を一杯に受けている入間の姿をお見せします。


まず、中心地の街並み、宮崎集落を紹介します。
木炭と材木で栄えた時期には、 この狭い街並み一杯に人が溢れていました。
パチンコ屋2軒、旅館2軒、商店5軒、郵便局、農協、新聞屋、タバコや、貸し本屋・・・・・・


今は・・少し寂しくなっています。