2009年2月20日金曜日

猿飛び滝/八重滝


雪解け水が岩走る、八重滝は、
国道54号線脇の十数ーメートルのところから第一の滝が始まります。

それぞれ違った趣の八つの滝は、およそ800メートルの間の渓谷に次々と姿を現わします、

さほど深山でもないのに幽谷の姿を見せる八重滝渓谷は、お勧めしたい散策スポットです。


まず、最初の滝、「猿飛び滝」を紹介します。
猿が滝の上の岩礁を飛びながら渡ったのを見た人がいたからでしょうか?

用水の取水堰にも利用されていますので、趣に少し欠けるところがあるかもしれませんが、滑らの美しい猿飛び滝は、 八重滝の玄関で皆様をお迎えします。


2009年2月16日月曜日

珍しい狛犬


珍しい狛犬を紹介します。


八重山神社の随神門の両側でにらみを効かす狛犬は、

ながい前脚とスマートな体躯に加え、肩を怒らせて首を下げるポーズが独特の狛犬です。

狛犬といえば普通は獅子の形をしていますが、八重山神社の狛犬は、一見豹の様にも見えます。


出雲地方にみられる、出雲型狛犬とは全く違う風情の狛犬は、どこから来たのでしょう?

福光石(太田市温泉津町産の石)で作られているところからみると、石見銀山の歴史となんらかの関わりがあるかもしれません?


松平藩「一社一例国主守護の社」八重山神社には、隠された秘密がいっぱいあります。


豹の様な狛犬を皆様の目でお確かめください。

2009年2月14日土曜日

七冠馬への道、八重山神社。

八重山神社は入間の八重滝集落にあります。

出雲郷から安芸、周防への街道筋にある八重山神社は、昔から牛馬の神様として、近郷在からたくさんのお参りがありました。
遠くは石見地方から、今でも4月と9月の例祭の日には欠かさずお参りに来られる信者さんもおいでです。

7冠馬として名高い、シンボリルドルフの馬主さんも、八重山神社の信者の一人だったそうです。
7冠の偉業は、八重山神社のおかげとも言えます。

岩窟の中に建つ八重山神社への長い石段は、さながら幽玄の世界への門坂の様な錯覚を覚えます。  雲南市の隠れた名所、八重山神社へ是非お参りください。

2009年2月13日金曜日

宇野千代の小説「八重山の雪」


入間地区の八重滝集落を舞台にした宇野千代の小説「八重山の雪」の話です。


終戦後、松江の六十三連隊跡に駐屯していた英国兵と逃亡し、入間の八重山に隠れ住んだはる子を主人公にした「八重山の雪」は、宇野千代が実話をもとに書き下ろした小説です。

作者は取材の為に幾度かこの掛合町八重滝集落に訪れました。
それだけに宇野千代は「私の好きな作品の一つ」と言っています。

逃亡兵のジョージを気遣うはる子の父の世話で、二人は遠縁の居る八重山集落の家に身を寄せ、ジョージはその家の炭焼きの仕事を手伝います、

「 最初の仕事場は、あの、牛の神様と言うて諸国のお人に知られています、八重山神社の裏手を廻った奥山でございました」

小説の中で主人公はる子は、八重山神社をしっかりと宣伝しています。
現代から見たら純情でありすぎる二人の愛の物語は、綿々嫋嫋として強烈な印象を与える素晴らしい作品です。

その続編とも言える宇野千代の、「チェリーが死んだ」 もあわせお読みいただきたい小説です。

2009年2月12日木曜日

思いも一入


平成20年4月に閉校となった、旧入間小学校の校舎は、
今、地域活性化センターとして、地元に管理が委ねられています。

その活性化センターをどのように利用したら良いか? 地元では専門委員会を立ち上げました。
地区民へのアンケート調査を終えて、一昨夜(2月10日)数回目かの会合を持ちました。
利用方法に関して偏った考え方に陥らないようにと、中山間地域研究センターにも参加していただいています。

昭和25年に焼失の為に再建された入間小学校は、当時の村有林の材を使い、住民の労力奉仕によって建てられました、
地区民の思いにも一入のものがあります。
跡地もまた、地域の中心となる場所にあり、利用方法については、アンケートからいろいろなアイデアをいただきましたが・・・・
人口減少化社会を迎えた日本では、廃校が全国的に広がっている中で、跡利用の成功事例は少ないようです。

入間小学校跡地の利用の方向性としては、まず寄り処として整備をし、発展的に研修、展示、宿泊に繋がる利用を考えて行こうということになりました。


木造外壁の古びた校舎ですが、・・・・地区民には愛着があります。 


 

2009年2月11日水曜日

お宝の里


入間地区で最後に紹介するのは、八重滝自治会です。
近世まで製鉄場のあった八重滝は、峨峨とした山々に囲まれた谷間にあります。

限界集落と言う言葉が当てはまるのなら、八重滝自治会は、典型的な山村の限界集落と言えるでしょう?
集落戸数5戸、老人化率95%、独居高齢者家庭3戸、

だが、 雲南市のお宝を捜すのなら、八重滝集落にはたくさんのお宝があります。
入間コミュニティー協議会ブログの冒頭を飾る写真の大滝は、八重滝集落にあります。

国道54号線からほんの10数メートル入ったところから始まる八つの大滝群はその渓谷美と相まって、沢山のフアンが居ます。
集落奥の八重山神社は、牛馬の神様として遠くは石見地方からも信者のお参りがある、由緒ある神社です。

作家、宇野千代がこの八重滝を舞台にして書き下ろした「八重山の雪」は宇野千代自身も好きな作品の一つ、と言っていた素晴らしい小説です。
そのお宝は、後日に順次紹介いたします。


道路の草刈り、水路の整備などなど、いまだ限界の文字を感じさせないで5戸の集落は朝日に輝いていました。

2009年2月10日火曜日

竹の尾村


出來山から国道54号線をさらに広島方面に向うと、

竹の尾集落があります。
戸数10軒の自治会です。

昔はもう少し戸数も多かったでしょうが・・・小さいながらも村として存在していた集落です。
郷土史には、穴見村、入間村、と並んで竹の尾村が記載されています。
郷土史を見ると、 竹の尾村の村高わずか56石、とあります。
人口の少なかった当時でも小さい村落だったことが伺えます。
それでも村を維持出来ていた事は、村民の志が高かったからでしょう。
集落の広島側の境には、川を改修して耕地を広げる大規模な土木工事を図った跡があります。
当時の村民の息吹を感じます。
藤原姓が多いのは、小さな村だった事と何か関係があるのでしょうか? 







2009年2月9日月曜日

歴史の流れの中で、


54号線を広島方面へ向って走ると、入間地区に入って最初の家並が見えます、
出來山集落です。

その昔、銅山があり、戸数数百軒を数えたと言い伝えがありますが、定かではありません。
それでも、数軒の農家の裏山には坑道の跡らしき10数個の間歩が見られます。
間歩の中に入ってみると、黄金色状の筋になった鉱脈と思えるものが見受けられます。

集落内の西蔵寺跡とされている平場は、飯南町の西蔵寺が移築されるまで建っていた所と聞いています。  集落の各所には、確かに鉱山の痕跡は残っています。

今は12戸になりましたが、数百軒の賑わいの空気がどこかに感じられる集落です。

歴史の流れの中で、集落の家々は静かな佇まいを見せています。

2009年2月8日日曜日

矜持を持って


入間の中心地から寺谷集落を経由して、さらに西へ向うと穴見集落に出ます
入間コミュニティ-協議会の中でも一番大きな自治会です。

盆地の中に、出雲風土記にも記載のある穴見神社を中心として、比較的大きな耕地が広がっています。
 花卉園芸農家として県下でも有数の「別木農園」はこの集落です。

新年の大雪では倒木による停電が2~3日続き、孤島化した事がありました。
まだ、携帯電話不感地域は解消されていません、防災上からも早急に解消される事を待ち望んでいます。

集落のまとまりは良く、雲南市の中でも先駆けて集落営農の立ち上げ、運営がなされています。

昔から、郵便番号はこの集落だけの単独の番号です。(〒690-2704)
何故でしょう?   それだけ集落の皆さんのプライドも高いものがあります。




2009年2月7日土曜日

住み続けたいふるさと!


今日は、本谷集落の山側地区に登ってみます。
登る、と言う言葉がぴったり来る程の市道を国道から入ると、
点在して5戸の家が見えます。

急傾斜の山肌に田圃が点々と見られますが、地形上どうしても耕作するのに不利な所があります。
若者は、新しい生活を求めて山を下りていくでしょう。

今、日本の国の山間地では、何処でも同じ悩みを抱えている事でしょうが・・・・
住み慣れた土地から離れがたい思いのお年寄りを、地域のコミュニティーはどうしたら、お助けできるのでしょうか?

課題には大きなものがあります。

個々のお庭から目にするやまなみは雲海のなかに浮かんで、墨絵の世界に分け入ったような感覚を覚えます。
美しい、住み続けたいふるさとです

2009年2月6日金曜日

名工 清水 巌


入間の中心地から、西に向って県道を走ると寺谷集落に入ります。

集落の名の由来でもありましょう、 入口に長栄寺が見えます。

江戸時代に石見の甚五郎と称された、清水 巌が小僧として勤めた、古刹です。
本堂には、清水巌の作による龍の欄間が掛かっています。

清水巌は、和尚に才を見出されて江戸にのぼり、後に猪の牙などを材料にした、石見根付けの元祖として名をなしました。

作品は海外に流れて、ほとんど見られませんが長栄寺には、小僧時代の作品が数点残っています。

住職に御願いすれば見せてもらえます。

2009年2月5日木曜日

こんにちは!ようこそ入間へ



今日からブログを開設しました。

春まだき、と言った感のする雪の残る入間です。
だが・・・川岸の猫柳にはちっちゃなねずみ色の芽が覗いています。

入間は今!春を迎える為に大急ぎで起き上がろうとしています。

雲南市の、南の玄関口にあたる入間地区を、これから少しずつ皆様にご紹介していきます。
そこで生きて、笑って、働いて・・・山国の幸を一杯に受けている入間の姿をお見せします。


まず、中心地の街並み、宮崎集落を紹介します。
木炭と材木で栄えた時期には、 この狭い街並み一杯に人が溢れていました。
パチンコ屋2軒、旅館2軒、商店5軒、郵便局、農協、新聞屋、タバコや、貸し本屋・・・・・・


今は・・少し寂しくなっています。